創業百年の老舗企業の歩み

笹埜醤油醸造元

1870年(明治3年)頃創業
醤油/岡山県岡山市瀬戸町宗堂459-4
ウェブサイト
創業の頃の出来事
1869年 - アメリカの大陸横断鉄道が開通
1869年 - 備前藩主池田章政が版籍を奉還し、岡山藩知事に任命される
1871年 - 廃藩置県。3府72県に新しく府知事・県令をおいた

時代は変わっても、変わらない“真面目さ”。褒状の数々、創業時の看板を今も受け継ぐ

 創業ほぼ140年。初代笹埜俊二が旧赤磐郡吉岡村(現岡山市瀬戸町宗堂)で雑貨屋と共に醤油の醸造を始めたのは明治3年(1870)の頃のことでした。創業者の名前が入った創業当時の看板は今も大切に保管されています。
 赤磐郡誌の大正9年(1920)の産業調査によると、笹埜醤油醸造元が年間120石(2万1600リットル)の醤油を醸造していたと記されています。
 創業以来、“真面目な醤油造り”を受け継いできた笹埜醤油。一番古いものは大正7年(1918)のものだという品評会での数々の褒状が、品質の高さを裏付けています。

一枚のポスターが大洪水の中を生き延びた。戦争にも洪水にも屈しない笹埜醤油の象徴

 昭和38年(1963)、県東北部を襲った集中豪雨により吉井川水系が氾濫。濁流は笹埜醤油醸造元の蔵にも押し寄せました。蔵も自宅も軒下まで水浸し。大豆も小麦も塩も使いものにならなくなり、燃料の薪も流されてしまいました。
 この大洪水の難を逃れた貴重な品があります。大正期に笹埜醤油が作ったと思われるポスターです。ご近所の家の2階、箪笥と壁の間に挟まったまま時を過ごし、洪水に浸かることもなくその後偶然発見されました。笹埜醤油に里帰りして、店頭に飾られています。

吉井川の氾濫
 昭和38年7月、県北一帯が梅雨前線による集中豪雨に見舞われ、主に吉井川水系が氾濫、死傷者66人、全壊43戸、床上浸水3,721世帯という大きな被害を出しました。県は15市町村に災害救助法を適用、自衛隊が出動して復旧に当たりました。
(『岡山県民の昭和史』山陽新聞社)

春限定「さくらもろみ」は社長の心意気。県天然記念物「宗堂桜」を守り続ける

 瀬戸町宗堂には、地域の人々が復活させて大切に保存している“宗堂桜”があります。現社長である3代目笹埜正彦さんも宗堂桜の保存育成活動に長く携わってきました。
 商品にも桜を取り入れました。春の限定商品「さくらもろみ」は、宗堂桜の葉の色(べっ甲色)と同じような色になったころが食べ頃ということでネーミング。桜の花びらが入った「桜すし酢」も商品化し、4月の第2日曜日に開かれる桜まつりに彩りを添えます。
 その他、岡山特産の白桃の果汁を加えて甘みを出した「白だし」も好評。地域に根ざした商品作りを志しています。

宗堂桜
 八重桜の一種で直径3cm大の花弁が約60枚もあります。内側20枚ほどが反転して二重の弁となり、八重桜としては他に類を見ない珍しいものです。伝説には、この桜を植えた雲哲日鏡上人が若くして殉教したのを悲しみ、花は開き切ることがないとされています。昭和31年岡山県天然記念物。
岡山県ホームページ

旧蔵との別れ。新しい時代に向けて

 平成3年(1991)に新工場を建設。
 笹埜正彦さんは語ります。「できるだけ防腐剤を使用したくなかったんです。そのためには、清潔な工場で作る必要がどうしてもあり、決断したんです」
 長年、醤油を作り続けてきた古い蔵は、平成10年(1998)に取り壊すこととなりました。これは理想とする醤油造りを目指す決意でもあったのです。
 さらに、4代目笹埜俊一さんは、インターネットでのオンラインショツプを始めるなど販売形態も工夫し、新しい時代の中でも140年近い歴史をしっかりと引き継ごうとしています。

大正時代に授賞した岡山県醤油品評会の賞状
水害を免れて発見された当時のポスター
満開に咲く宗堂桜
麹を造っている四代目笹埜俊一さん
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