
創業104年、岡山市内にあった山長旅館(現ホテルマイラ)経営者の二男、小林佐五郎が、独立して旅館業を始めました。山長の「山」、佐五郎の「佐」から名付けて「山佐」旅館。明治38年(1905)頃のことでした。
山陽鉄道が岡山駅まで開通したのは明治24年(1891)。以後、岡山駅前には旅館が建ち並ぶようになります。山佐旅館もその一つでした。
昭和20年(1945)、岡山大空襲で山佐旅館も全焼。佐五郎の娘お浩(大正元年1912~平成4年1992)が戦後に再開します。お浩は臼井家に嫁いでいましたが、昭和25年(1950)4月16日、駅前(現在の難波古道具店西隣付近)に8部屋の建物を借りて家業を再開することを決断したのです。
昭和27年(1952)、現在の場所に木造数寄屋風の旅館を建設、移転。昭和33年(1958)には、国際観光旅館として山佐別館を併設しました。
昭和の中頃までは、結婚式は自宅や公民館で行うのが一般的でした。
そんな中、駅に近いという立地条件を生かして昭和43年(1968)に結婚式場「末広殿」を新設。式場・美容・着付・写真一式で売り出したことが大いに受けました。朝から晩まで結婚式の予約で一杯、1日20組という日もあったということです。
ちなみに、昭和49年(1974)に山陽新聞に掲載した山佐別館の広告によると、結婚式一式で5万500円でした。
昭和43年頃からは、新聞広告をはじめ、宣伝カーや馬車、セスナ機、さらにはテレビコマーシャルと、考えられる手段を駆使して広報に一層力を入れます。正にがむしゃらに突っ走る毎日、しかし夢に満ちた時代でもありました。
昭和47年(1972)、新幹線岡山―新大阪間が開業しました。空前の岡山ブームが到来、岡山駅の1日の乗降客は20万~28万人(開業前平均の3.5倍)という大混雑が続きます。山佐にも他県からの修学旅行生が押し掛けるようになりました。
追い風の中で昭和49年(1974)ホテル金波(現在の鷲羽ハイランドホテル)の経営に着手。翌50年には大浴場を「真珠風呂」に改装しました。浴槽内に真珠を敷きつめ、湯に溶けた真珠の成分が美容によいという触れ込みでした。ところが湯に溶けすぎて5年で真珠は消滅、ただのタイル貼りとなりました。
昭和63年(1988)、瀬戸大橋開通。山佐は現在の姿に改装、旅館名も「山佐本陣」となりました。
一定以上の年齢層の方ならテレビのコマーシャルソングをご記憶の方も多いでしょう。
「♪寿と宴の宿-、山佐-本陣♪」